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zoom RSS 「その時歴史が動いた」完成・戦国最強軍団〜武田信玄・苦悩の生涯〜

<<   作成日時 : 2007/02/07 23:53   >>

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まさか、「その時」が三方が原の戦いとは思わなかった。さすがに、死ぬ4ヶ月前に“完成した”といわれても・・・

でも、これ以外は、結構うなずける話。

まず、甲斐が国人の力が強く、必ずしも武田氏は守護ではあったが、強い君主ではないということ。
小山田氏、穴山氏などはある程度の独立性を保っていたことはよくいわれている。NHK大河ドラマでも田辺誠一さん演じる小山田信有は、字幕スーパーに「小山田信有(郡内領主)」とわざわざ注がついていた。
小山田氏や穴山氏は、信玄存命中は信玄のカリスマ性や縁戚関係になったことで、家臣のようになったかもしれないが、信玄没後は、再び独立性を持ち始めたという。
今回の番組ではふれられなかったが、武田勝頼が天目山に散ったときに、小山田信茂が裏切り、また穴山梅雪も徳川へ寝返ったが、彼らは厳密には武田の家臣ではないということで、裏切りにあたらないという説(認識)もあるぐらいだ。

また、村上義清に大敗した上田原の戦いのこともふれていた。
家臣が勝手に突撃して大敗したと。
僕自身、先日読んだ本に書いてあったのだが、板垣信方は、晴信擁立の功臣であり、また諏訪の郡代となったため増長していったと。そして、上田原の戦いでも、合戦中であったにもかかわらず、自らの陣で首実検を行い、その隙を狙われ命を落としたとあった。

今日の話とシンクロするものがある。
信虎追放のクーデターは、老臣たちによるもので、晴信の基盤は弱い。

もちろん、これも一説なのだろうが、これまでと違う武田信玄像を概観できてとてもよかった。
また、「武田信玄」や「真田太平記」の映像が、ふんだんにつかわれていたこともOK。

しかし・・・死ぬ4ヶ月前に完成とは。無名に近い合戦だけど「三増峠の戦い」ぐらいで完成させたほうが、より説得力があったかも。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
信玄は、結局、室町時代の守護大名から抜け出せなかったのだと思います。信長のような破天荒さや、経済力が、なかった事も、彼が天下を取れなかった要因だと思います。
長田ドーム
2007/02/08 21:53
長田ドーム さん、こんばんは!

甲信の石高は濃尾とくらぶべくもないですしね。京都との距離もありましたし。
今日感
2007/02/08 22:57

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