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zoom RSS 鴨川達夫著「武田信玄と勝頼−文書にみる戦国大名の実像」

<<   作成日時 : 2007/04/21 21:10   >>

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題名をみると、大河ドラマに便乗したような軽薄な本という誤解を与えてしまうかもしれないが、内容は決して軽薄なものではなく、硬派中の硬派。
文書(古文書)の中でも信玄や勝頼がだした書状をもとに、信玄や勝頼の姿に迫るという内容で、前半は、主に古文書の読み方を丁寧に説明し、後半が信玄や勝頼の“実像”に迫るという構成になっている。

この本によると、

・信玄と義信の対立に勝つために、信玄は書状の形式を見た目も立派な奉書式朱印状に変え、用紙も折紙(半紙)から堅紙(一枚紙)に大きくし、ワンランク上の威厳を手にした

・信玄は、今川氏真が上杉謙信と組んで武田を挟撃しようとしたから、駿河攻めを行ったのであり、世上でいわれるような積極的な駿河攻めではない

・今川、北条、上杉に囲まれている状況では、織田との友好関係は信玄にとって必要であり、「信長に見放されたら、自分は滅亡してしまう」という書状も残っている

・駿河平定の後も、織田・徳川と積極的に対立しようと思ったわけではない。元亀3年秋の世上でいわれる上洛戦も、遠江・三河に向かい徳川家康を叩くのか、越後に向かい越中の一向宗を側面支援するのか最後まで迷っていたが、本願寺などから催促され、受動的に遠江に進攻した。

・信長側からみると、友好関係にあった武田が突如、敵方の主将になった印象をうけた。

・信玄没後に、勝頼は信長との友好関係を戻そうとしたが、信長は無視した

ということになっている。

つまり、世の中で当然視されてきたように、今川義元の死によって西への道が開けはじめ、信玄の意図として、駿河、遠江、三河と進攻したが、ついに上洛を果たせなかった、という話はなかったことになる。

確かに、歴史を考えるときに、「後付の理屈や説明」、「結果から逆算したものの見方」、「名将・名君は何でもお見通しで戦略的」、という固定観念にとらわれがちだが、そうしたことではなく、今回、鴨川氏が分析した内容が真実であってもいいと思う。

今の世の中でも、意図したことじゃなくて、あれよ、あれよというままに流されたけど、結果としてそれがOKだったこともある。戦国時代にそれがあってもいいと思う。

桶狭間の戦いも、昔は今川義元の上洛戦を阻止した戦いであったが、今では義元の出陣は上洛目的ではなく、尾張南部の平定という国境紛争、後詰合戦とされている。
武田信玄も同じように、上洛する意思はなかったが、将軍・足利義昭や本願寺からの要請でしぶしぶ三河に兵を出した、それが通説になっても不思議ではない。

しかし、そうなれば、「風林火山」や「武田信玄」は、大河ドラマにならない。演じる役者もそれほど積極的な意思を感じない、おどおどした人が演じるのかも。

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